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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)13005号 判決 1983年9月29日

原告 松田文雄

被告 国 ほか一名

代理人 須藤典明 伊東康文

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して金一二九万八七〇〇円及びこれに対する昭和五一年一月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告神奈川県)

1 原告の被告神奈川県に対する請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 担保を条件とする仮執行免脱宣言

(被告国)

1 原告の被告国に対する請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五一年一月二三日、訴外福島利夫及び同丸山力から突き飛ばされてフオークリフトに激突させられ、その結果、後頭部打撲、頸椎損傷、背部打撲挫傷、腰部打撲(後に腰椎分離、弯曲と判明)、左足打撲、右手関節捻挫の傷害を負つた(以下これを「本件受傷事件」という。)。

2  原告は、本件受傷事件につき、同日、翌二四日、同年二月一二日、翌一三日、同年六月一日、同年九月一日及び同月三日、神奈川県高津警察署の警察官に対し、被害を届け出るとともに、右福島及び丸山を告訴した。しかるに、同署の警察官山口らは捜査を怠り、十分な捜査をしないまま、事件を横浜地方検察庁川崎支部検察官に送致した。

3  右事件の配点を受けた同支部検察官事務取扱副検事鈴木洋(以下「鈴木副検事」という。)は、捜査不十分のまま前記福島及び丸山を不起訴処分にした。そこで、原告は、不起訴処分は納得できないので再捜査してほしい旨の申立てを行い、鈴木副検事は再捜査したが、加害者側の請託により不起訴処分を維持した。

その間、鈴木副検事は、原告が押印した供述調書を毀棄するとともに、犯罪の立証ができないよう虚偽の内容の書類を作成した。

また、鈴木副検事は、同支部の支部長とともに、原告の告訴を受理することを拒否した。

4  原告は、昭和五三年七月一九日、横浜地方検察庁検察官に対し、福島及び丸山を本件受傷事件で再度告訴するとともに、大貫誠、篠田宗次、鈴木副検事らを証憑湮滅罪等で告訴した。しかるに、同事件の配点を受けた同検察庁検察官百瀬武雄は、捜査を怠り、十分な捜査をしないまま、同年一一月八日、被告訴人をすべて不起訴処分にした。

5  右2ないし4記載の不法行為により、原告は、福島、丸山らに対する本件受傷事件についての損害賠償請求が困難になり、同事件の損害賠償金相当額の損害を被つた。その内訳及び合計額は次のとおりである。

(一) 休業損害

原告は、本件受傷事件により休業を余儀なくされ、金五九万二九五六円の損害を被つた。

(二) 経費(交通通信費及び雑費)

原告は、本件受傷事件により交通通信費及び雑費合計金六万三三七五円の支出を余儀なくされ、同金額相当の損害を被つた。

(三) 慰謝料

本件受傷事件による慰謝料の額は金六四万二三六九円が相当である。

(四) 合計 金一二九万八七〇〇円

6  よつて、原告は、被告らに対し、右損害金一二九万八七〇〇円及びこれに対する本件受傷事件の日の翌日である昭和五一年一月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告神奈川県)

1 請求原因1の事実は否認する。

2 請求原因2の事実のうち、原告が昭和五一年二月一二日及び同年九月三日本件受傷事件につき神奈川県高津警察署の警察官に対し被害を届け出たこと及び同署の警察官が事件を横浜地方検察庁川崎支部検察官に送致したことは認めるが、その余は否認する。

3 請求原因3の事実のうち、鈴木副検事が福島及び丸山を不起訴処分にしたことは認めるが、その余は不知。

4 請求原因4の事実は不知。

5 請求原因5は争う。

(被告国)

1 請求原因1の事実は否認する。

2 請求原因2の事実についての認否は、被告神奈川県の認否を引用する。

3 請求原因3の事実のうち、事件が鈴木副検事に配点されたこと、同副検事は福島及び丸山を不起訴処分にしたこと、原告が不起訴処分は納得できないので再捜査してほしい旨の申立てを行つたこと、鈴木副検事は再捜査したが不起訴処分を維持したこと及び同副検事は横浜地方検察庁川崎支部長と協議のうえ原告の告訴を受理しなかつたことがあつたことは認めるが、その余は否認する。

4 請求原因4の事実のうち、原告が昭和五三年七月一九日横浜地方検察庁検察官に対し福島及び丸山を本件受傷事件で再度告訴するとともに大貫誠、篠田宗次、鈴木副検事らを証憑湮滅罪等で告訴したこと及び同事件の配点を受けた同検察庁検察官百瀬武雄か同年一一月八日被告訴人をすべて不起訴処分にしたことは認めるが、その余は否認する。

5 請求原因5は争う。

三  被告らの主張及び抗弁

1  主張

検察官は、公益の立場において、被疑事件につき起訴・不起訴の処分を決定するのであつて、起訴処分は、被害者に代わつて被害者のためにするものではない。したがつて、捜査機関に対する被害申告ないし告訴は、法的には、公益のため検察官に対し職権の発動を促す行為として把握される。そうすると、不起訴処分によつて被害申告者ないし告訴人個人の利益が違法に侵害されるということはあり得ず、これらの者が公訴提起に対して抱く期待は法の保護に値しない事実上の反射的利益にすぎないというべきである。

これを本件についてみると、原告の主張は、結局のところ、検察官の不起訴処分によつて、被害申告者でありかつ告訴人である原告は、加害者に対する損害賠償請求が困難となり、不利益を被つたというのであり、右に述べたところからすると、原告の主張は失当である。

2  抗弁

鈴木副検事が福島及び丸山を不起訴処分にしたのは昭和五一年一二月二四日であり、原告は、これを、遅くとも、同人が横浜検察審査会に対し審査の申立てをした昭和五二年五月四日までには、了知したと認められる。ところが、原告が本件訴訟を提起したのは昭和五六年一一月一三日であるから、原告の右不起訴処分を理由とする損害賠償請求権はすでに時効にかかつているというべきであり、被告らはこの時効を援用する。また、原告が告訴し、百瀬検事が不起訴処分にした事件は、鈴木副検事が不起訴処分にした事件を反覆して告訴の対象とし、これを前提にして大貫誠らに対する犯罪事実を付加したにすぎないから、右事件については独立して原告の損害賠償請求権の時効消滅を論ずるべきではなく、鈴木副検事の前記不起訴処分についての損害賠償請求権の消滅時効が完成した時点において時効により消滅しているというべきであり、被告らはこの時効を援用する。

第三証拠 <略>

理由

原告の主張は、必ずしも明らかでないが、その趣旨は、要するに、原告は訴外福島利夫及び同丸山力から傷害を受けたとして神奈川県高津警察署に被害を届け出るとともに、右両名を告訴したにもかかわらず、右警察署の警察官は十分な捜査を遂げず、事件の送致を受けた横浜地方検察庁川崎支部検察官は右両名を不起訴処分にし、また、同支部検察官は原告の告訴を受理せず、更に、横浜地方検察庁検察官は原告が告訴した右捜査の懈怠等をした警察官及び検察官等をすべて不起訴処分にしたが、原告は、これらの捜査の懈怠及び不起訴処分等により、前記訴外福島らに対する前記傷害事件についての損害賠償の請求をすることが困難となり、同事件の損害賠償金相当額の損害を被つたので、被告神奈川県及び国に対しその損害の賠償を求める、というにあるものと解される。

しかしながら、およそ、刑事上の処罰は、たとえ違反行為が個人的利益の侵害にかかるものであつても、国家がその社会秩序を維持するため独自の立場において犯罪者に対して課するものであつて、被侵害利益ないし損害の回復を図るものでないことはいうまでもない。そして、警察官が犯罪の捜査をし、検察官が公訴を提起するのは、右のような国家的立場から公益を代表して犯罪者及び証拠の捜査をし、犯罪者に対して刑罰を課することを求めるものであつて、被害者の利益を代表して捜査又は刑事訴追を行うものでないことも明らかである。もとより、法益の侵害を受けた被害者は、その加害者が刑事上の処罰を受けることを期待し、これに関心を抱くことは否定し得ないところであり、このような被害者の期待に対応して、法は、被害者又はその法定代理人に告訴する権利を付与し、検察官がその告訴にかかる事件について不起訴処分をしたときは告訴人に対して速やかにその旨を通知し、かつ、請求により不起訴の理由を告知することを要するものとしている(刑事訴訟法二三〇条、二六〇条、二六一条参照)が、しかし、この告訴は、捜査機関に対して犯罪捜査の端緒を与え、検察官の職権発動を促すものであるにすぎず、また、右の不起訴処分の通知及び不起訴理由の告知の制度も、検察官の職務の適正を担保するための公の制度とみるべきものであることは明らかである。そうすると、被害者は、犯罪捜査権又は刑事訴追権の行使について警察官又は検察官と直接間接の公法上の権利義務関係を有するものということができず、被害者が警察官の犯罪捜査及び検察官の公訴提起によつて受ける利益は、法律によつて保護された利益ではなく、検察官等が公益上の見地からなす行為によつて反射的に生ずる事実上の利益にすぎないものといわなければならない。

してみれば、警察官の犯罪捜査及び検察官の公訴提起によつて、当該犯罪の被害者がその加害者に対して訴求する民事上の損害賠償事件においてなんらかの便宜が得られたとしても、それは単に事実上の反射的利益にすぎないものというべく、仮に、原告主張のとおり、本件不起訴処分等がされた結果、訴外福島及び同丸山に対する民事上の損害賠償請求をすることがある程度困難となつたものであるとしても、そのことの故に被告らに対し国家賠償法一条に基づき損害賠償の請求をなし得べき筋合いではないというべきである。

よつて、原告の本訴請求は、主張自体失当というべきものであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宍戸達德)

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